外の世界を知ろうとするが… 退職に向けて踏み出した一歩

2022年7月。

会社にしがみつく自分に嫌気がさし、「このままではいけない」という思いが強くなっていた。

1. 新しい世界を求めて彷徨う

退職後の道を 模索し始めてから 2ヶ月が過ぎていた。

ネットで検索をかけてみるものの、出てくるのはアルバイトやボランティアの情報ばかり。

「これじゃない…!」と焦る日々。

30年以上も勤め人をしてたからか?

それとも、こんなブラック企業でも「良くしよう」と固執し過ぎたせいなのか?

いずれにしても「会社が人生の全て!」

そう思い込んでいた自分には、会社という枠の外で生きる方法が、まったく見えてこなかった。

そんな中、定期購読していたビジネス書が届き、そこには『くすぶるな50代ー生涯現役への分岐点』という見出しが書かれていた。

なんというタイミング!

2ヶ月間、模索し続けた自分にとって「希望の本」に見えた。

2. くすぶるな50代

その本には、50代から独立し、イキイキと輝いてる人達の笑顔が載っていた。

皆、会社員をされていた過去があり、激務で身体を壊しかけた人。起業へ向け資格を取得したり、副業から本業へとシフトし退職された方など、様々な経歴が書かれていた。

中には、前職との繋がりからの起業や、着々と会社員時代から準備をして起業。まったく畑違いの分野に転職など、ライフシフトのスタイルも様々だった。

『同じ50代でなにが違うんだ?』

『自分には資格もなにもない!』

読めば読むほど、自分とのギャップに驚き、同時に自分にも出来るのかという『不安』が襲ってきた。

しかし、人生100年時代。

長寿化によって働き方は大きく変わった。

50歳から学び直し、自分をアップデートすることで『変身できる』『新しいステージに行ける』。

その記事を見て、なんだか希望が湧いてきた。

「自分にもまだ、やれることがあるかもしれない…!」

「こんな会社で、くすぶってる場合じゃない!」

そう思うと、ブラック企業にしがみついている場合じゃない!

「もっと学ばなければ!」「外の世界を知らなければ!」そう思えてならなかった。

3. 「55歳」の学び直し

「とにかく動かなければ何も変わらない。」

そう思った私は、まず初心者向けの起業説明会に参加した。
「独立するには何が必要なのか?」を知りたかった。

次に、ファシリテーションスキルを学べるNPO団体に参加し、
「人と関わること」に少しずつ慣れていくことを試みた。

さらに、財務の知識をつけるために数学教室にも通い始めた。

平日は、帰宅してからは夜間のオンライン受講。
休日は、リアルまたはオンラインミーティングに参加する日々が続いた。

これまで、社外コミュニティに参加したことがなかった自分には、どれも新鮮で刺激の強いものばかり。

この時に、GoogleスプレッドやChat GPT、ZOOMなどを知り、始めて聞く言葉や操作に戸惑いの連続だったのを覚えている。

また、そこに参加していた40代〜60代以上の人達の、論理的な考えや話し方、パソコン操作や知識など、どれをとっても同年代とは思えないくらい、大きな差があることに打ちのめされた。

『こんなにも、世間はレベルが高いのか!』

会社一筋だった自分の知見の狭さ、レベルの低さを実感し落ち込む毎日だった。

『これじゃ、独立して起業なんて夢のまた夢。通用するわけがない!』

さらにもう一つ、致命的な欠点が露呈した。

それは…『コミュニケーション能力の低さ』だった…

知識や経験の差はもちろんだが、それ以前に人と話すことがままならない。

ここぞと言うときに意見がいえない。輪に入れない…

いい歳こいて…そう思うだろうが、ブラック企業で屈折した考えに染まってしまい、元々の性格も相まって自分が表現できない。

そう、私にとって「コミュニケーションは最大の鬼門」。

これを改善しない限り、独立し起業への道は開かない。そう思えてならず、

『コミュニケーションの学校』に入学することを決めた。

そして、ここで新たな問題に直面する。

4. 母への借金

この時、2022年でコロナ禍の真っ最中。

その影響をもろに受けていた会社の業績は悪化しまくっていた。

ブラック企業の特徴の1つに、”問題が起きると歯止めが効かない”という現象がおきる。

リスクヘッジなどなにもせず、あぐらをかく経営陣。トラブルは都合のいい下の者へと丸投げ。

コロナ禍の業績悪化において、「人員削減・給与カット」という 安易な策しか講じられないという状況。

そのあおりで、

  • 給与の手取りがマイナス10万円/月。
  • ボーナス半減し役職定年による資格給もなくなる。
  • その結果、年収は200万円以上も減額。

さらに追い打ちをかけるように、

  • 母が2回目の脳梗塞を発症…実家の修繕費、介護費用、通院による交通費など諸々。
  • 長男の自殺未遂…救済支援、生活支援、再就職の支援など

もともと安月給だった私。投資や資産運営にも まったく興味がなく貯蓄もスズメの涙ほど。
そこに、収入減と支出増で一気にお金が底をついてしまった。

しかし、

「このタイミングを逃したら、自分は変われない。いや、変わらなければならない!」

母は退院したばかりで、まだ身体も本調子ではなかった。そんな母に頭を下げてお金を借りるのは、本当に情けなかった。

でも、その時の私は『変わりたい!』
その一心で、母から30万円を借りて『コミュニケーションの学校』へと入学した。

5. 学び続けた先に

そうして学びを続けて行くほどに、自分が変わっていくのが分かった。

妻から「笑顔が増えたね」「知らない人に話しかけられるようになったんだね」と驚かれるようになった。

コミュニケーションの学校の同期からも「笑顔が素敵になった」と褒められるようにもなった。

お互いに成長しよう!応援しよう!と、集まった仲間たち。

年齢や立場など一切関係ない。

そこには互いに切磋琢磨しあう環境。承認しあう環境があった。

しかし、その学びを会社に戻って実践するが、あまりに環境が違いすぎるせいか通用しない。

まったく話しが合わない上司、同僚、部下たちを目の前にすると、もの凄い違和感が私を襲ってきた。

『ダメだ、この会社にいては元に戻ってしまう』

そう確信した私は、次第に早期退職を考えるようになっていった。

📌 次回予告:「学びが深まるほど、退職が現実味を帯びてきた」

「本当に辞めてやっていけるのか?」

「この会社に未来はあるのか?」

「自分が本当にやりたいこと、生き甲斐を感じることは何なのか?」

不安と希望が入り混じるなか、私は決断のときを迎えようとしていた——。

次回、いよいよ「退職を本格的に考え始めた瞬間」を書いていきます。

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