ブラック企業に『退職届け』を出した日  〜33年間の執着からの決別〜

2024年6月、退職する2カ月前のこと。

その日、いつも通り朝8:00に出社してオフィスの片隅にある小さな部屋に入った。
ここは、2メートル四方しかない私専用の小さな部屋。

机が2台置かれていて歩くのもやっとだ…そこにポツンと一人。

隣のオフィスからは、総務や営業スタッフたち10人くらいだろうか。
朝から元気な声や笑い声が聞こえる。

それとは対照的に静かな部屋。
私は家から持ってきた白い封筒をカバンから出し、右手に置いてパソコンを立ち上げる。

「さぁ、退職届を書こう」

そう一言つぶやいて、パソコン画面に目を向けた。

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◇静かな決断

時代の変化

人生で退職届を書くのは、これで二度目だ。

前回はまだ20代前半。
歯科技工士という職業に挫折し、歯科医師ともそりが合わずに転職を決意した。

本を見てドキドキしながら書いた記憶があるけど、今回は違う。

いまやネットで「退職願いの書き方」と検索すれば、簡単に必要な情報が手に入る。

パソコン画面に表示された見本を見ながら、ふと思った。

「便利になったなあ…」

そんな時代の流れを感じ、思わず感心する。

けどすぐ、 「いかんいかん!」 と首をブルッと横に振り、再びパソコン画面に集中する。

我に返った私は、画面を見ながらキーボードを打ち始めた。

冷静すぎる自分

しかし不思議だ、書き進めるうちに奇妙な感覚が襲ってきた。

『ドキドキしていない。むしろ波一つ立てず湖面にぽつんと立ってるかのように冷静な自分がいる。』

そう、これまで33年間も勤めてきた会社を辞めるというのに、感情がまるで湧いてこないのだ。

淡々と文章を打ち込む自分に、ふと問いかける。

「こんなもんなのか?」

そして、すぐさまもう一人の自分が答えを出す。

「いや、こんなもんさ!」

パソコン画面に表示された「退職願い」の文字。

それを見つめていると、だんだんと若かりし過去の自分がそっと顔をのぞかせ始めた。

◇33年前、夢中になったあの日

見抜けなかった自分

この会社に、私は24歳で中途入社した。
きっかけは、たまたま見かけた求人広告でした。

歯科技工士を辞めて実家でプラプラしていた自分に、新聞の折り込みチラシが目に飛び込んできました。

そこに、この会社のバイト募集があり、日当8,000円という金額に驚いたのを今でも鮮明に覚えてます。

当時の一般的な時給は600円〜700円ほどで、日当にすると5,000円〜6,000円ぐらい。
それと比較しても高めの給与設定!

これを見た瞬間、『ここだ!』と思ったんです。

すぐに電話すると、面接の日程からトントン拍子に話しが進み、翌週にはアルバイトとして勤務しだしたのを、今も鮮明に思い出します。

しかし、いくらバイトの面接とはいえ、どう見ても定年間近(いや嘱託だったかも)のオジさんの世間話を聞くという違和感

振りかえれば、このときブラック企業と見抜けなかった自分が未熟だった。

バイトから社員へ

初めて足を踏み入れた製造工場

ベルトコンベアの上で次々と缶コーヒーが流れていく様子に驚き、
大きな音を出して動く機械たちが、まるで命のある生きもののように感じました。

その光景に、心がワクワクしたのを今でも覚えています。

私の教育係になったのは、一つ年上のSさん。
彼は元暴走族ですが、面倒見がよく可愛がってもらい、なぜか正社員へ推薦してくれました。

そして、自分の名前を書けば”合格”という形だけの入社試験を受け、晴れて正社員へ。

過酷な現実

それからは
「中途で拾ってくれた会社に恩返ししたい!」
「家族に自慢できる会社にしたい!」

そんな気持ちで、仕事に向き合う日々。
現場での業務改善提案、業績向上のためのプロジェクト…。

毎日が挑戦の連続でした。
いつしか、夜中まで残業、休日出勤が当たり前の生活にもなっていた。

そしてさらに、現実は厳しかった。

◇パワハラ軍団の支配

根深い文化

この会社には、 「パワハラ軍団」 と呼ばれるグループがいた。

マンガ見たいと思うかもしれないが、実際に存在し継承される文化が根付いていた

大声で怒鳴る、部下のミスを笑いものにする、理不尽な命令を出す…等々。
法令違反も芋づる式に出てくる出てくる…。

そもそも上層部がパワハラをする連中なので、当然パワハラを継承する部下たちを優遇し出世させる

「なんであんな人を部長にするんですか!?」
「あんな人を役員にしちゃダメだよ!」

あちこちの部署から噴出する疑念と諦め。

パワハラ軍団の攻撃に耐えて泣いている現場の担当者たち。
いくら能力があっても、パワハラの仲間に入らなければ埋もれるだけだった。

現実とドラマは別物だ

『なんとかして泣いてる担当者たちを救いたい』

クソ真面目で正義感が強かった私は、理不尽さに何度も立ち向かった。
上司に訴え、改善案を提示したが組織は変わらなかった。

ただ煙たがられるだけ。

少ないけど、パワハラやブラックな風土を改善したいと思う仲間もいました

けど、いざパワハラ上司たちを目の前にすると沈黙し、途端にイエスマンへと変貌し従ってしまう

気づけば、私一人で戦うことがたびたび起こる。

しかし、孤軍奮闘では組織には叶わない。
経営層が変わらないかぎり、一人の頑張りで組織なんて変わるはずもない。

結局、パワハラを受け継ぐ者が部長や役員へと昇進していく構図は崩れなかった

「悪い奴らを成敗する!」
「V字回復だ!」

そんなドラマのような展開を期待したこともあったが、現実には起こらなかった。


◇自分の未来を選ぶ勇気

会社の枠から抜けよう

自分の力では会社を変えることができなかった。
でも、 自分の未来を変えることはできる 。

そのことに57歳になってようやく気づいた。
だいぶ時間がかかったなぁ。

「変わらない組織に固執しないで、自分のチカラで未来を選ぶ!」

そう決意したとき、心が軽くなった。
会社が人生の全てじゃない。もっと外に目をむけよう。外へと旅に出よう。

過去を振り返りながら退職届を書き終え、「ふぅ〜」と息を吐いて目を閉じた。

人生は選択だ

A4用紙の退職届を三つ折りにし、白い封筒に入れて封をした。

上司の総務部長に提出するために席を立ち、静かな部屋から賑やかな部屋へと一歩でる。

そしていざ渡す瞬間、手が震えているのが分かった。

頭の中に、 「この選択は間違っていないか?」 という声が響く。

でも、その声を振り払うように深呼吸して、上司に退職願いを差し出した。

「長い間、お世話になりました。」

そう伝えた瞬間、心がふと軽くなった気がした。

◇未来への一歩

会社は変わらなくても、自分の人生は自分で変えられる。

本来なら、会社員時代に副業や次の仕事を見つけておくのがセオリーだろう。
しかし、会社に固執しすぎていた私は、その準備も知識もなかった。

でも、これ以上この環境にいたら、自分までブラックへと染まってしまう。
くすぶっている時間ももったいない。

言葉は悪いかもしれないが、
この会社は、学ぼうとしない人たちの集まりだ

このままあと3年。
定年退職までいたら、給与は20万の固定給に変わる嘱託を選んで時間を潰すだけ。
それか、近所のコンビニでレジ打ちのバイトをする道しか浮かばなかった。

そんな夢のないセカンドライフは嫌だ!

そう思えての決断。

そしていま、早期退職して半年。
まだ自分のやりたい仕事を探す旅の途中。

でもいつか振り返ったとき、きっと思うだろう。

「あの日、早期退職を決断して本当によかった」 と。



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